日本に住む外国人ルーツを持つ子供が増えています。
外国籍の子供だけではなく、片親が外国人、元々外国籍で日本に帰化した「元外国人」を含め、かなりの割合を占めると推定されます。
東京都だけでも外国人が50万人超、新宿区、豊島区に至っては外国人比率が10%を超えています。
両親とも外国籍、片親外国籍、帰化を通じて日本国籍になったが、外国にルーツを持つ日本人を含めると、この割合がますます高くなるでしょう。
日本はカナダ、ヨーロッパなど諸外国と比べると、元々「単一民族、単一文化」の国で、画一的な言葉、文化習慣を持っている「島国」の性格が強い国です。
急速に増える外国人の子供、外国にルーツを持つ子供の教育に対する対応は、各家庭に委ねている部分が大きい現状にあります。
インターナショナルスクールという選択は、果たして子供の将来にとって「ベスト」な選択肢なのか、どういう観点で学校選びをすべきか、検証してみたいと思います。
日本における外国人の子供の教育の考察
日本での「外国人学校」に関する研究は、様々な視点で行われています。
例えば「外国人の子供の教育」(宮島 喬、東京大学出版会 2014年初版)という本では、外国人の子供への教育保障のための3つの基本課題として下記の3つを定義しています。
①まず、子供たちがホスト社会の中に生きてく以上、ホスト国の言語能力、および、必要な基礎学力をみにつけされなければならないこと
②当人のアイデンティティや家族とのつながりのため、また潜在的言語資本として認識や思考を支えるため母語・母文化の教育の保持、発達促す必要があること
③そして、当人の言語や文化を干すと国の社会および成員が貶価したり、スティグマ化しない、文化尊重、文化理解の環境が作られること、がそれである。
この本の中で、ブラジル、東南アジアから日本に移住してきた人たちへのフォーカスが多く、平たく言うと「日本語の理解が不十分な外国人、外国の言語・文化ルーツを保ちたい、日本の学校のシステムに対する理解の不十分、日本の学校に馴染まない」といった社会問題をどう解決するかに焦点を当てているように感じています。
この本で取り上げられている問題の一つに、非常に興味深いものがあります。
それは、「学習言語日本語の問題」というものです。
日本の学校システムで学ぶ「国語」は言語として日本語と違う性質なものです。
日本語は分の組み立て方、語彙、文法を教えるのに対して、国語は「漢字学習がつねにあり、文法の説明、作文、作品の鑑賞、読解、古典解釈、短歌・俳句など盛り込まれている」、「国語学習を情緒の要素が強く加えられた”母国的なものを日本語によって表現・理解する力の育成”ととらえる」、「このような教科が中学校でも高校でも主要三教科の位置を占めている」と説明しています。
日本に住みながら、「日本の公立・私立学校」システムではなく、「インターナショナルスクール」を選ぶ親は、最も重要なのは「文化の選択」であると筆者が考えます。
インターナショナルスクールを選ぶ家庭の子供は、「ホスト社会でる日本を生きていくこと」そもそも前提としていない、むしろ、将来日本を飛び出して母国、更に、世界に羽ばたくことを想定していることがまず大前提にあります。
「ホスト日本である日本の言語、文化、習慣の習得を重視しない、それは子供の将来の妨げにならない」という前提で判断しています。
冷たい言い方かもしれませんが、インターナショナルスクールは、現に住んでいる国「日本の価値」を、それほど評価しない人たちの選択肢であります。
例えば、日本に住んでいる両方外国人の親、一時的に日本に仕事で日本に来て、将来いずれ帰国する、大学も海外の大学に行く前提の家庭は、日本語の習得はあくまでプラスアルファ的に「コミュニケーションとしての日本語を学びたい」というニーズはあるが、国語としての日本語を求めていないのならば、「インターナショナルスクール」はリーズナブルの選択です。
エリート教育としてのインターナショナルスクール、費用対効果は?
留学生、就職で日本に来ている高学歴の外国人の親の中で、日本に住みながら「英語の習得、将来の選択肢の確保、子供にグローバルな感覚と素養を持たせる」という目的で一度インターナショナルスクールを検討する人は多いでしょう。
少しエピソードですが、港区の六本木に週末に行くと、インターナショナルスクールと思われる子供たちの集まりが行われていました。
土曜日の昼頃、六本木Midtownの公園でピザを食べながら先生とグループ遊びする英語をしゃべる男子の集団、「いいとこの御坊茶魔風の子供が多い」
各国の大使館の多い地域であり、各国のエリート官僚とその子供たちが住む、通学する地域でもあります。
10数人の集団で、アジア系の子供が3人だけ、それ以外は白人が多いが、アジア系の子供を含め勿論みんな英語ペラペラのネイティブ。
インターナショナルスクールの日常の一幕をのぞき見できて面白かったです。
海外のエリート富裕層にとっては、インターナショナルスクールスクールは当然のような選択かもしれません。
なぜなら、海外からやって来ていずれ帰国するという前提、日本お教育システムはわからないし、日本語も上手できない(習得する意欲もない)、でも自国では親がエリートで子供にもエリートになって欲しい、だから、海外の官僚エリートの日本駐在人、外資系企業の日本幹部たちは子供を当然のようにインターナショナルスクールにいれる。
一方で、「議論する余地もなく、インターナショナルスクールがよい」という家庭は少ないと思います。
インターナショナルスクールでほんとによいのか、純ドメの「グローバル志向」の日本人も含め、片親が外国籍、両親とも外国籍で日本に住み着き、日本で働く親たちは、「教育の選択権」を持っている一方、「インターナショナルスクールを選ぶ経済的合理性」と「日本への帰属意識をどう考えるべきか」の間で揺られています。
インターナショナルスクール選択のマトリックス
インターナショナルスクールを間違いなく選択するのは、Aのカテゴリー、経済的の余裕度が非常に高く、日本への帰属意識が非常に薄いグループになります。
一方で、上記のグラフのブルー色の「?」の部分は、2種類の人が存在します。
①日本への帰属意識は薄いが、経済的余裕度はある程度あるが、年間200万以上の学費+αの負担を考える慎重に考えなければいけないグループ、あるいは、
②経済的余裕であり、日本への帰属意識も低くない、でもグローバル志向も諦めたくないグループ
この人たちは、一度「インターナショナルスクール」という選択肢を考え、調査し、悩んだ上、決断するか、受験の結果を受け入れるかになるでしょう。
カテゴリーBの中で、一部純ドメの日本人が含まれます。
日本人のインターナショナルスクールへの入学は賛否両論です。
単にネイティブ並のペラペラ英語をしゃべることを目的にインターナショナルスクールへの入学に考えているなら、是非下記のに記事を読んでいただたい。
日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ
日本育ちの子をお金をかけずにバイリンガルにする「2つの方法」
「インターナショナルスクールという秘境」というタイトルで雑誌で特集が組まれるほど、インターナショナルスクールは、日本に存在している学校の中で、特殊な存在です。
2020年の教育改革、日本の教育もインターナショナルに近づく?!
日本の2020年教育改革、今まで日本の大学選びで重視されるのは「教育の成果」ではなく、「偏差値、入試の難しさ」になっております。
【「オックスフォード」からの警鐘】という本では、次のように論じています。
「長い受験戦争に勝ち抜いた学生は、一定の基礎学力とともに、勤勉さや忍耐力、独力習慣などを養っていた、この能力を「訓練能力」を判定するための座標軸でした。
だから日本の企業も社会も「教育力」、「専門性」よりも、受験の結果に過ぎない「偏差値」を大学評価の基準と見なし、採用・選考の際に用いてきたのです。つまり、大学教育の内実はほとんど問われてこなかったのです。」
また「受験のルールが大きく変わる2020年教育改革」という本の著者である和田哲雄氏は文部科学省の教育課程課長は、本書の中で下記のように述べています。
2020年の教育改革は何を学び何ができるようになるか(学習指導要領改訂)、とどのように学ぶか(指導方法や教科書の改善)、そして、学びを道標かするあ(大学入試の大改革)を三位一体で変革しています。
そんな大改革に踏み切ることになった重要なトリガーの一つは、2016年、グーグルが開発した「アルファ碁」が囲碁の世界チャンピオンに勝ったというニュース。
人工知能があっさり人間に勝ってしまった。
そのときに、永田町も霞ヶ関も雰囲気が一変しました。
「これからはAIの時代だ!。
「AIにはできない、人間としての強みとは何か?」という真剣な議論が恥じまたのです。
東大を目指す「東ロボくん」という東大を目指すAIがあります。
「東ロボくん」が最も得意なのは世界史のマーク試験。
しかし、答えなしの問題にAIが答えられません。
AIに目的を与え、その目的の正しさ、美しさ判断する能力は人間にしかありません。
その能力は、ベーシックな力です。
文章や情報を正確に理解する「読解力」、「その読解力を土台にしっかり考える力」です。
これから東大に入れば人生が安泰という時代が終わりました。
東大で何を学んで学んだ知識を社会においてどう行かしていくかが問われています。
大企業に就職という価値観も変わっていきます。
組織ではなく、知恵やセンスのある個人のアイディアが価値を生み、社会や生活を変えているのです。
今後、日本の学校でもグローバルな人材を育てられるように、日本に住んでいる外国人に「日本への帰属意識と関係なく、日本の学校を選んでもらえるように」改革を進めて欲しいと思います。
例えば、渋谷幕張という私立の一貫校では、国立・私立の人気大学に加え、海外大学への進学実績もあります。
出所:渋谷幕張公式ウェブサイト
このように、日本の学校に行きながらも海外への進路も開かれていると、高額なインターナショナルスクールはグローバル志向の家庭にとっては、選択肢の幅が増えます。
「日本語を習得、日本文化への理解を身につけつつ」,自分の元文化のアイデンティティーも保持されたまま、「グローバルへの道も塞がれない」というのが理想的です。
オックスフォードからの警鐘の本でも触れましたように、Financial Timesで掲載されたデビットグッドハー氏から提供された「Somewhere」と「Anywhere」の概念が面白い。
彼はイギリスの名門私立男子校イートンを卒業し、イギリスではオックスブリッジではないが、Top校の一つであるヨークを卒業。
かれは、自分を含むイギリスで大学教育を終えた人たちを「どこにでも行けるものたちAnywhere」を呼ぶ、他方、大学教育を受けたことのない人たちを「どこかにとどまる者たちと呼ぶ」。
日本に住んでいながら、あえてインターナショナルスクールを選ぶのは「日本にとどまることが望ましくないと思う」人たちのように思えます。
これから、日本の教育を受けながらも、日本のどこかにとどまるのではなく、「どこにでもいけるもの」になれる教育システムを作り上げていくこと、また、「どこかにとどまる場所」として、日本の魅力を高めることが日本にとって大事でしょう。
日本の学校でも、インターナショナルスクールでも、優秀な学生はどこでも優秀です。
逆にうわべの成績のよさ、単なる語学能力だと、「有名大学出身」の平凡の人に終わってしまいます。
どの学校でも深い思考力を身につけ、自分から社会問題を見つけ、自分で問題を定義し、自分で解を探していくプロセスがより重要になってきます。
そうでなければ、人生はただ「他人の定義するよいルートにひたすら辿って、自分自身にとって本当にいいものは何か考えるチャンスもなく終わってしまう」リスクがあります。
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